心理室を覗いてみよう(16) ~心理士の視点について③~
前回・前々回と、これまでとガラッと変わり『心理士の視点』について触れてきました。今回もしつこいようですが、心理士特有の『抱え続けるということ』『考え続けるということ』に焦点を当てながら、もう少し『心理士の視点』について触れさせていただきたいと思います。
心理士(あくまで私的ではありますが)が目指すのは、生きづらさを抱えた方が、生きた自分、生きた他者、生きた関係に触れられるようになることです。症状を解決することでも、幸せになることでもありません。生きづらさの根底には必ず“悲しみ”があります。その当たり前の悲しみを当たり前のように悲しみ、そのような悲しみの中にも実在する繋がりや可能性に感謝出来るようになること、そして改めて生きた現実の世界に定位出来るようになることを目指します。
無論これではなんら生きづらさは変わらないように映るでしょう。しかし、生きるということはそもそもあらゆる試練の連続です。生きていく上で生きづらさは避けられません。目を伏せたり、刹那的な快楽に身を任せたりするばかりでは、問題を後回しにするばかりで本質的には何も変わりません。であれば、止め処なく手に余るような生きづらさを、少しでも傍において置ける生きづらさに変えていく他ありません。誰かと共に『抱え続けるということ』『考え続けるということ』を介して、振り払っても襲い掛かってくる生きづらさに輪郭を与え、全身で体験しながら理解し、多少なりとも受け容れられる生きづらさに変えていく。そして、当たり前の悲しみを当たり前のように悲しみ、そのような悲しみの中にも実在する繋がりや可能性に感謝し、改めて生きた現実の世界に定位出来るよう準備をする。そこに心理士、延いては心に携わる全ての方々の意味や役割があるのではないかと、私は考えています。
以上、なんだか今回も抽象的で小難し説明になってしまいましたが、とにかく『抱え続けるということ』『考え続けるということ』が等閑にされてしまえば、自分も他者も関係も死に体になり兼ねないということです。そして、その面倒な『抱え続けるということ』『考え続けるということ』を生業にするのが『心理士』であるということです。ただ、それは心に携わる全ての方々にとっても必要不可欠な要素であり決して特別なものではない。それも踏まえた上で、たまたまそれに特化しているのが『心理士』ということなのです。生きた自分、生きた他者、生きた関係、延いては生きた組織、生きた世界。難しいですけど、改めて尊いものだと思いますね。それでは、失礼いたします。
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